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文言と文献
(2002)救急医療は精神医療に限らず,いつでも,どこでも,だれでも,必要な時に医療サービスを受けられることを意味している。その意味で救急は医療の原点といえる
(2000)精神科病院の経営には、経済性、学問性、医療的ロマンの三位一体が必要であると考えている。
(2002)34条には地域精神保健はあるが、地域精神医療はない
(2004)損して得取れ。
(2004)福祉が追いついたら医療は引く。
(2004)福祉も24hサービスができなければ医療は引けない。
(2021)最近のコロナ感染者で精神障害を持つ患者がいると、精神疾患で精神科に入院する必要がないのに、精神科で入院させると評価が上がるような仕組みを考えようとする動き(アンケート調査)があるが、この点はきちんと議論しなくては危険なことになると危惧している。
(2021)病気があることを覚えていてもらわなければなら ないが、眼鏡をかけると同じように、いつもは意 識せず生活を維持することをための医療を目指すなら、怠薬や本人の不安がない限り受診回数は少ない方がよい。
(2021)外来と入院との関係をみると、外来、特 に「救急外来はベッドを埋めるツール」としか考えない人もいる。
(2021)国が2012 年に「『重度かつ慢性』を除き,精神科の入院患者は1年で退院させ,入院外治療に移行させる仕組みを作る」と、昨今言われた精神障害にも対応した地域包括ケアシステムの構築実現を目指すなら,先ず少なくとも1年以上開放処遇の精神療養病棟入院患者は即退院させる必要がある。
(2021)繰り返す中でPDCA を回して修正をかけていくことは当然で、その中で次の策が見えてくるはずだからである。筆者はこれをたとえて「お手玉法」と言ってきた。
(2020)再度例えるなら、水槽に水を入れるのに、水槽の大きさは水の出し入れのスピードとは無関係と言えばわかりやすいかもしれない
(2020)最後に、デンマークにおいて世界的に有名な「高齢者福祉の3原則」が1982年打ち出されたがこれに触れて稿を終える。これを作った委員会の委員長が、ベント・ロル・アナセン(Bent Rold Andersen)で、別名「アナセンの3原則」とも呼ばれることがある。この「高齢者福祉の3原則(アナセンの3原則)」とは(1)生活継続の原則(2)自己決定の原則(3)残存能力活用の原則16)であり、高齢者を対象としたものではあったが、今こそ広く障害者全体にも適用することを再度肝に銘じたい
(2020)地域包括ケアは従来の入院中の院内の包括ケア(人生丸抱え)より良いはずだが、地域でサービス過剰となると、福祉も介護もサービスの過剰提供をし出し、自立を損なうサービスが行われ出している
(2020)誰も、好きで精神疾患になった人はいない
(2020)精神障害者を受容しない根底には周囲の人の不安がある
(2020)患者さんの自由度が高く、必要にして十分なサービスが提供されるという点ではサ高住はよい選択肢かと思いますが、退院後の医療以外のサービス、すなわち訪問看護、ホームヘルプサービス、就労支援事業などがすべてセットで用意されていることも多いので、かえって患者さんの地域生活を管理し過ぎることのないよう配慮すべきです。私は、訪問看護等の回数を不必要に増やさず、患者さんの自立性を落とすことがないように気を付けています
(2019)ここで,地域包括ケアの留意点をあげると,①あくまでも地域では患者である前に生活者である視点を見失わないこと,②医療や福祉や介護の連携は必要だが,特に医療は支え手であっても表に出ない影であること,③特に救急医療はきわめて重要だが影のさらに影であること
(2019)毎日入院してくる患者数で当該病棟の病床数を徐した日数を基準として退院させると、最も「効率良い」運営ができる
(2018)もう一つ筆者の病院で行ってきた重要なツールは「同伴外泊」である。退院して自宅に帰る前に、その患者が地域で生活できるか確認することが重要であるのは当然であり、必要があれば当院では法人付属の宿泊施設に短期ではあるが外泊してもらって調整している。そこで一人で宿泊させるのが心配な場合、当院の職員が同伴して泊まるのである。24時間365日の生活者である当事者の生活状況を見るには、この同伴外泊から大きな情報が得ることができ、また今後本来の住まいに戻って生活できるかを検討するときに大きな役割を演じてくれる。通常はその患者の担当看護師か担当精神保健福祉士が同伴外泊するが、医療観察法による鑑定入院などのような重度の患者の場合は主治医である筆者などが同伴外泊することもある
(2017)まず、現場に行って、見て、提供する、ナポレオンの「我来たり見たり勝てり」に合わせて言うなら、行ったり、見たり、提供したりである
(2016)「みんなで見ている」は誰も見ていない
(2016)統合失調症などは、精神科医なら誰もが認めるように、単一疾患であるかも不明であるから一定の予後があるかも不明であり、疾患の本体もまだわかっていない、また薬物療法は1種類でも実は多剤使用のような受容体親和性プロファイルを持っているのに言ってくるのは、医療費削減以外の何物でもない
(2016)社会的デイケア
(2015)極端に皮肉な表現をすると、この揺れる状況に24時間365日迅速に対応できるシステムがないなら、地域に出ないで入院していた方が幸せかも知れないと言えると考えている
(2013)外来に患者自身が来て、保護者の顔は知っていても遠方の場合はどうかについて、筆者は大阪市内に救急を中心とする50床の病院を2008年に創った時、行政と協議し、ドキュメント主義の時代だから、1時間は外来で待つとしても、それ以上かかる場合は応急入院とすると合意した。指定医申請のレポートで「大阪のローカルルール」という審査員もいるようであるが、厳密な法の運用を早く決めるべきだろう
(2013)精神科救急の3 つの要素,Fashion,Collection,Mission を言ってきました(精神医学,48:116-117, 2006)。たまたま医学書院の「精神医学」の巻頭言を書かないかと言われたときに書いたものですけれど,Fashion 性も悪いとは言いませんし,Collection 性もあってもよい,しかしMission 性をなくして精神科救急はありえない。「私は救急医だ」,「私の病院は救急病院だ」というのはかっこいいので若い医師も集まる,また救急をやっていれば患者さんは集まる,でも患者さんが集まってベッドが埋まったらもう患者さんは要らないというのは救急ではない。ですから背景にMission 性がなくてはならない。そしてMissionを支えるPassion,そしてPassion を持続させ下から支えるAffection をもっていなければこの救急というのは続かないし,機能しないと考えます。
(2013)経済的スーパー救急
(2012)以前なら自院の患者は夜間休日でも診ていたが、精神科救急システムができて精神科救急が特別扱いされてからは、自院責任性を捨てて今日は当番で無いからと断わる病院まで出ている
(2011)(機能的)総合病院
(2011)救急は単なる火消しでしかない
(2011)重症な人も地域で支えていくには精神科病院は最も適している。その代表が医療観察法の対象者のサポートである。しかし、精神科病院の周辺のみに重症者が暮らすのは地域医療ではないので、アウトリーチを駆使して、その人の本来の居住地、その人の住みたい居住地での生活を医療の面から支えるのである
(2011)私がこのごろ思うのは、現在では宗教はアヘンであるべきなのかもしれない。つまり、緩和ケアでも,ホスピスに入院して、痛みがあってその苦しみから逃れるためにとなると、鎮痛剤の処置してもらうわけですけれども、何か本人の救いとなると、鎮痛剤以外の、まさに別の次元のアヘンのようなものが必要なのではないかと思います。孤立からの救い、快感、喜び、肯定感、達成感、満足感、幸福感の獲得のためにも、宗教あるいはそれと同次元のものが必要なのではないかと思います
(2011)人は1人になりたい部分、人といたい部分が必ずある、患者さんにもよく説明をするのですが、人によって、1人になりたい部分が多い人と、人と一緒にいたい部分が多い人がある
(2011)特に最近のように精神科救急医療においては在院期間が30~40日程度に短くなっているので、2次予防と3次予防は同時進行であると言っても過言ではない
(2011)「早期警告症状(early warning signs)」を患者本人にも家族にも理解してもらうことは重要である。これは最近病名告知の重要性が言われるが、それよりも重要であると考えている
(2011)統合失調症の患者に「病識」が獲得されにくいのは病気本体と関係あるだろうというプリミティブな仮説を持っている。つまり病気本体が「報酬系」に関係あるドーパミンシステムの過活動と関係ある限り困難ではないかということである。これは覚せい剤の場合と同じように不愉快、あるいは恐怖を伴う幻覚が出るにもかかわらず脳内の機構としては逃れにくい呪縛にはまっているのではないかと考える。統合失調症で怠薬が防げる人は、全てとはいわないが、就労、家庭維持、ほめられることなど、他のもっとも強い「報酬系」が作動している人であるようにみえる
(2011)地域移行を含めて地域での生活を勧める時は、病院と同レベルのサービスが地域にない限りするべきではない
(2011)現在の精神科救急は、患者責任制、自院責任制、地域責任制15)が破壊され、システムが最前線に出てきてしまっている
(2011)生活には口を出さないが、病気のコントロールには時に口を出す
(2010)病院運営の指標について
(2010)「戻しあり」の身体合併症対策
(2010)コンビニ的利用が多くスタッフが疲弊するという一般の救急医療に比べ、精神科でまだ多くの患者の受入れはないので、当分は受入れを広げてもよいだろう
(2010)精神科病院施設全体について、以前から著者は①アメニティ、プライバシー、セキュリティのバランスの他、②尊厳を大切にして自尊心を傷つけない③いかにも精神科病院だという第一印象を持たせない(違和感がないこと)④来たくないところだが、次回も万が一悪くなったら来ようと思わせる、さらに皮肉な言い方だが ⑤いつまでもいたいとは思わせない構造が求められていると考えている
(2010)平均在院日数=その病棟のうち活動する病床数/1日に入院してくる患者数
(2010)もともと医療にはハードウェアとソフトウェアとヒューマンウェアとそれらの適切な運用が必要
(2010)極端には隔離室から出たら退院前訪問看護をする
(2010)救急・急性期病棟に看護師を加配し、患者が退院してもしばらくはその看護師が訪問をするように言って来た
(2010)入院すると同時に退院後のイメージを考える
(2009)最後の砦として救急サービスが必要である(救急医療は地域医療の最後の砦である)
(2009)精神科救急を語るときは演繹的でなく、帰納的であること、そしてなによりも語るのでも、書くのでも、聞くのでもなく「やるもの」であると考えている
(2009)(精神科救急は)人が少なく、情報も少なく、人の嫌がる時間帯に仕事をすること
(2009)精神科病院は必要な地域の一資源 病院も地域の中の一つの資源
(2008)患者は生活者であるという視点に立つなら、生活者24時間の生活者だから24時間のサービスが用意されなければならない。それは医療とか福祉に分けるのは勝手として両方必要である。病院からみると、外来も入院も救急を含めた時間外診察もなんでもありだが、その意識を持っているかが大切である。ACTでなくても患家に24時間サービスが届けられるかも必要で、それはACTでなくても従来の診療報酬のメニューでもあっておかしくない
(2008)地域は総合病院だ、病院は病棟だ、町中リエゾンだ
(2008)先進諸外国ではノーマライゼーションを建前に、医療費削減を本音として、1960年代から病床削減が行われた
(2008)精神科救急は社会復帰と同じスケールで拡大する必要がある
(2008)(周囲からの非難は)精神保健医療福祉に携わるものの洗礼
(2008)「5年で理解者、10年で応援団」
(2008)「抹殺した時代」「閉じ込めてきた時代」そして「開放という名のもと放置した時代」そして「治療を継続するようにしつつ見守っている時代」
(2007)救急医療は地域医療の一部
(2006)Plan-Do-Check-Act
(2006)削減するか社会から要請され、しかも精神科救急などでベッドを有効利用するかという選択の自由があることになる
(2006)(精神科救急は)Fashion, Collection, Mission, (Passion, Affection)
(2006)日精協版ケアアセスメント
(2006)責任性は患者責任制、自院責任制、地域責任制を意味する
(2004)医療にアクセスしなければ医療がアクセスする
(2004)ないない6重奏
(2004)マーガレット・ミード
(2004)このような連携を通じて病院機能が縮小していく中で,地域が病院となり家庭が病室となって,町中が開放病棟として機能するようになるかもしれない
(2003)「地域は病院だ、家庭は病床だ、町中開放病棟だ」
(2003)20年の間に定床数は603から505床に減らすことができた。年間の入院者数は300から1300に増えた。平均在院日数は700から110日に減少することができた。外来の実人数は、2000年には1990年の1.5倍の3000人以上となった。1990年と2000年の状態を相対的にみると、46%までベッド数を減らすことができている
(2002)患者は不当に拘束されない権利があると同時に精神障害ゆえに判断が十分にできなくなった時には、早く判断ができるように治してもらう、治療を受ける権利を潜在的に持っていると考えるべきである
(2001)スーパー救急病棟に限らず、精神科の入院病棟ではアメニティとプライバシーとセキュリティのバランスを求められる
(2000)デンマークでも、地域ケアの限界へは、プライエム(特別養護老人ホーム)の数を増やすのをやめて、これから挑戦するという状態であったため、自分の病院でトライし、検証するしかないという思いで帰ってきた。精神障害者の地域ケアは先に述べたように、デイケア、訪問看護、グループホーム、救急体制で成功していたので、同じノウハウを適用してみることを考えた
(1999)「迅速性」、「責任性」、「継続性」
(1999)7つのチェック項目「しやかいふつき」
(1997)日暮れへの旅の途中で出会った夕立はなんとか切り抜けたいが、日暮れが夕立の間に来てしまうかも知れない
(1995)「精神障害者が地域生活を送るための4つの要素」 ①住まう場 ②活動する場とプログラム ③サポートする人々とその連携 ④地域の人々の理解と受容
(1992)本来この(社会復帰施設の整備)ような運動は医療機関のするべきところではなく、連携は勿論であるが、医療は医療に徹し、福祉は福祉部門に任せるべきであると考えるが、日本の現状を見るとき行政の行うのを待っていては地域で生活できる人々がその生きがいのある生活を送ることなく死を迎えさせるということに荷担することになってしまうためやむをえずするということになるのである
(1991)入院阻止力
(1991)訪問看護では施行前後で比べると、入院日数は全体では17%に、1回当たりの入院日数では14%に減少し、入院回数も32%に減少する
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