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07/07 2022 Thursday

精神科救急認定医・専門医と救急認定施設について


精神科救急認定医・専門医と救急認定施設について

日本精神科救急学会は、1993年に当時の千葉県精神科医療センター長の計見一雄先生によって創立された。初めて精神科救急医療施設として認定?(自称?)され、同年千葉幕張メッセで開かれた世界精神保健連盟の学術大会の時に見学会が催されて、私は初めてそういう施設を見た。というか、私の考えでは救急はどこでもいつでもあり、どこかに特化するものではないと考えていたからだった。

学会ができて、会員も増えたが、精神科救急サービスの実態は、都道府県、医療施設でまちまちであった。個人的な考えでは、その大きな原因は、日本では1983年に起きた宇都宮病院事件を反省して1987年の法改正で精神保健法が施行され、非自発的医療の指示はすべて精神保健指定医に「負わされた」ことから始まったと考えている。

身体科医療では、当時は医師になったらすぐに先輩の指導で手術にも立ち会い、2004年に始まった新しい研修制度でも医師免許取得3年目には手術に参加し、第一線で働く気になれる。精神科は研修制度2年たってから精神科病院に3年勤めると、精神保健指定医申請の資格が与えられる。つまり大学卒業しても資格取得時には最短でも30歳になっている。どこかに当直に行っても、指定医でないから制限付きの仕事しかできない。30歳にもなると、家族を持ったりし、夜間わざわざ当直をし続けてまで仕事をしなくてもよいと考える人が多い。

そんなこともあり、2004年岡山での第12回総会で、当時副理事長であった私が、身体科でも救急専門医があるから、精神科でも、情報が少なく、人手も少ない、人の嫌がる時間帯に頑張ろうと思ってもらえるようにと専門医制を提案した。その後国の「専門医機構」ができて、いろいろ条件も付き、進展がなく、私が学会理事長をした2005~2012年の間には日の目は見なかった。

ようやく今年、専門医でなく認定医を作るための「暫定精神科救急医療施設」と「暫定指導医」が作られた。提案してからほぼ20年で認定医ができる、つまり私たちも20才年とったということになる。

前置きはここまでだが、今後どうするかでいろいろ意見がメール上で交わされた。私以外の意見は、内容は変えないが文体は少し変えて、発言者を特定されないようにするが、このコラムは専門家集団でない人に見てもらってどう思われるか知りたいので、敢えてコラムに入れることにした。

この6月初めに、暫定指導医から指導医への移行までの期間または指導医の更新までの期間に業務上規定を満たさない場合の取り扱いについて、1)暫定指導医から指導医への移行は3年以上、2)指導医の認定更新には2年以上認定施設に常勤することが条件だがどうかという問い合わせがあった。

これに対し、「当学会の強みは確かに現場力によるリアリティの強さを背景とした説得力や動員力といった魅力だが、反面学術面は課題となっている。それは臨床実践を主テーマとしていることで、基礎医学が相対的に不足するためで、ある程度は必然的な流れ。精神科救急という視点は、現場の技術力のみならず、各種の基礎医学、公衆衛生学、医療政策学、看護学、精神保健学、地域保健学…等も重要な要因で、その裾野は多岐に亘る。具体的に言えば、医系公務員として行政サイドで、整備事業で活躍すること等も重要だし、大学教員として領域を学術的に深めることも、基礎医学の研鑽をするために海外留学したりする時期があってもよいと思う。ただし、認定医という医師の資格にどこまでを求めるのかは別問題で、更新まで急性期現場の臨床実践に拘るのはあまりにも堅苦しく、制度としても非現実的と感じる。各学会は資格の更新に何らかの条件を課しており、多くは学会やセミナー参加となっている。現場経験は申請時に確認していることであり、個人的には思い切って更新も暫定からの移行も経験を求めずに学会等の参加で、あるいは医療現場常勤を問わず一定程度の関連業務への従事を含めることが発展的と考える。」や「現場力がない指導医は問題ですが、それだけが指導医のスキルではないという点はどうか、現場に詰めていれば腕の良い医者であるとも限らない」や「救急医学会やJSPNをはじめとする多くの学会がしているような経験した症例リスト(症例報告ではありません)を提出するほうがよい。例えば、1年あたり20例のリストを提出してもらうとかはどうか」「日本救急医学会では、100例の代替としてe-testを受け(再受験可)で合格すれば良いようだし、65歳以上または4回目からは免除で、経験症例はどの病院のものでもよくてバイト先でも構わないそうだ」や「制度発足後の3年中3年の常勤を条件とすれば、かなりの人が更新できなくなり、下手をすれば、認定施設が目減りして、本制度の拡大の足かせとなりかねない。そこで制度発足直前の2年と制度発足後の3年、計5年のうちの3年間、認定施設に常勤すれば、条件を満たす。ここで言う認定施設は、制度発足前は見做し認定施設、制度発足後は暫定認定施設である、とするのはどうか?これなら、様々な事情があって、暫定認定施設に丸々3年は常勤できない人も、更新可能となる。」や「正式な指導医と認定医が生まれるのは2年後で、彼らが資格更新するのは7年後、つまり、今後7年間は「資格更新」はない。なので、「7年後」を、大幅な規約改定を実施する時期と決めて、作業をすすめていくというのはどうか?制度運用が始まって7年もたてば、規約改正も、違和感なく受け止めてもらえると思う。認定医制度は順調に滑り出したが、認定施設が今後、少しずつでも増えていくのか、あるいは目減りしていくのかは、まだわかりません。目減りしていけば、やがて精神科救急認定医は、医療の片隅にいる特殊な人になっていく。そうなれば、認定医制度は失敗。7年間、認定医制度の推移を見れば、私たちがとるべき対策がもっとクリアに見えてくるはず」などなど。

これらの意見のどの位置とは言わないが、6月13日に私は意見(全文)を出した。

「何度か言ってきたと思いますが、私が2004年に認定医制度を提案したのは、精神科救急を担う精神科医を鼓舞するためでした。①情報が少ない②人手が少ない③人の嫌がる時間帯も働くという中で頑張る精神科指定医が対象です。指定医になって本当に頑張れるのは、30歳くらいで精神保健指定医になって「認定医にもなったから頑張らなくては」と思ってもらうためです。

「断らない、待たせない」を理念として、しんどくても依頼があれば診るということでした。

働き方改革と、このコロナで発熱あればまず身体科にお願いするなど断ってもよい言い訳を正当化する(ある面正しいですが)ことが増えてきました。

私が、理事長の退任講演(2012年10月27日)に「けだし、精神科救急を語るときは演繹的でなく、帰納的であること、そして語るのでも、書くものでも、また聞くものでも、読むものでも、見るものでもなく、「やるもの」であると考えている。」と言いましたが、今も正しいと思っています。私のところの病院も、指定医が昨年来、理由は別々でも5人ほど辞めました。それでも、当直料も給与のうちと計算して入職しているので、私が当直する場を得ることができません。

それで、「現場力」を保つため、月2回ですが、栃木まで日曜昼に出て、当直後翌日働き、指導し、夜帰る仕事をしています。私が正しいとは言いませんが、現場力のない、「私の若いころは・・・」などいう、指導医は居るべきではないと思います。いろいろ研究調査が必要なのはわかりますが、認定医と無縁です。別の委員会を作ればよいだけです。

指導医は認定施設にいるべきでなくてもよいかもしれませんが、指導医も認定医が条件です。たった5年で2例の夜間休日の症例に出会って簡単なレポートを書く、これは外せる条件ではないはずです。今栃木で支援している病院は、災害後の再開で、救急急性期治療病棟でも急性期治療病棟でもありません。それに昇格するために努力をしている病院です。それをさらに後ろから支援し指導するのも指導医の役割と思っています。

ただ、認定医申請の症例と、それを後ろから支援指導する症例が重なることはあってよいかと思います。指導医の役割は、治療するだけでなく、認定医申請医や認定医を指導する役割だからです。それでも翌日になって「君の対応では・・・した方がよかったかもしれないね」で、最初に言った①情報が少ない②人手が少ない③人の嫌がる時間帯も働くという中で頑張る精神科指定医を指導するというには、まったくお粗末だと思います。 日本救急医学会の求める症例数は百単位です。認定医もその指導医も苦労あって当然で、一旦取ったら軽くするという、精神科救急学会のオリガルヒを絶対作るべきではないと思います。今は委員間の意見交換ですが、これが大勢を占めるなら、理事会はもとより社員総会、あるいは全会員に問うべきです。澤 温」

提案から20年経って始まる認定医、一旦取ったらその既得権は残そう、ある年齢になれば永久認定医に、この制度を残すことが大切、決めたこと優先で先送り、などなどいろいろである。

私は、格好よく、一生懸命しんどいことしている人が一生懸命している限りにおいて持てる資格と考えた。しかし、待てよ、一生懸命しているから資格をあげようという考えだったが、私の場合も一生懸命しているから持たせてよ、極論言えば今年で高貴(後期でない)高齢者になる精神科医が、栃木まで出かけているくらいのことをして、初めて持てるのだろう!など考えるのは、患者がいる限り「待たせない、断らない精神科医療」をするのが救急医療の本質ということとは無縁かもしれない、と反省する。それでも既得権主義で認定医が認められるのはいかがかと思うが、渦の中心にいるとわからなくなる。読者、なかんずく精神科救急の利用者にはどう映るのかが大事だろうから敢えてこのようなコラムを書いた次第である。