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05/28 2026 Thursday

大阪市での精神科救急への考えと関わりの経緯-ほくとクリニック病院設立への理念と経緯-


澤温は大阪市精神保健検討会議精神医療部会部会員(1994)、大阪市精神保健福祉審議会精神科救急医療検討部会会長であった(2000)。2003年に3つのステージにわけ、第3ステージは市内で救急入院ができる施設を用意する(当時市内の救急対応の精神科病床は市立総合医療センターと府立急性期総合医療センターのみ)という大阪市の表明を受けて「なくて困っているなら出よう」と考えて調査開始。精神科診療所のない4区(鶴見、平野、此花、大正など)に的を絞った。
銀行からの勧めもあって大正駅近くの済生会の分院が売りに出ると聞いて何度か見に行ったがいたが、形を変えて残すことになったようなので、大正駅前の閉鎖していた信用金庫に目を付け購入。2003年から「ほくとクリニック」として外来開始(休日とその前の夜間救急)。
2006年に病院開設案を地域で説明したが、「なんで駅前か」との反対に説明会を10回要した。大阪府医師会にはクリニック時代の名前を継承して「ほくとクリニック病院」としたいと言ったが、当初はクリニックは診療所だとして受け付けてもらえなかった。
2008年9月(創立55年)から病院開業。40床でよいといわれたが措置入院を受ける条件として要求され50床とした。しかし、経営的には60床が良かった。
当時265万人の人口を抱える大阪市では精神科病床は減る一方で、夜間救急をしているところはなかった。システムができて大阪市総合医療センターと大阪府急性期総合医療センターで夜間を受けることになっても合併症のある場合の一部のみだった。
ほくとクリニック病院は大阪府の救急輪番に当たっている、いないに関係なく指定医を配置し、市内の救急隊は自然に当番に関係なく受け入れた。
断る理由はいくらでも見つかる(合併症については府を交えた取り決めがあり次々更新している)
夜間でも検査できるかも救急の質の確保のため重要(CT、血液検査)
訪問(診療や看護)も重要。ベースは「地域は病院」という澤の考え(2003)と一致し、最近の国の方針「地域包括ケア」や「精神障害にも対応した地域包括ケアシステム」とも一致
他の病院との連携は「地域は総合病院だ、病院は病棟だ、町中リエゾンだ」(2008)と関係
かつての大阪の精神科病院の救急への意識は、「やったってんねん」であったが、病床が埋まらなくなると「病床埋めるツールだから埋まるまでは受けようという意識までは来たが、何とかあるいは何としても受けようという意識少なく、「救急医療は地域医療の一部」(2007)で24時間の生活者を支えるにはなっていない。
現在の問題は
タイパ、コスパを無視はしないが最優先にする救急に成り下がっていること、救急としては待たせないことが重要で、毎晩2床は空けるとしていたが、今はベッドはいつでも埋まっているほうがよいという考えが多い
「地域は病院」となると入院期間は短くなるはずなのに実現していないし、入院期間は病態によって違うはずなのに、入院期間3ケ月にこだわる傾向が強くなっている
厚労省、そしてその背後にいる財務省が診療報酬で縛り上げていて、医の原点を守れない状況になっている