トップページ画像
06/05 2025 Thursday

ほくとクリニックと大阪市の精神科救急(院内機関誌2008年6月25日)


院内機関誌2008.6.25より
「ほくとクリニックと大阪市の精神科救急」
ほくとクリニックをほくとクリニック病院にするにあたりこれまでの経緯を一度まとめておこうと思う。
大阪府の精神科救急は91年に始まった。その頃大阪市は精神科救急に関してはまったく大阪府に依存していた。
大阪市が政令市になったことで1996年に精神科救急を独自に整備しなければならなくなった。そのための委員会に呼ばれ発言もした。当時の考えはこれまでなにもしてこなかったのだから、市民に重要性をわからせるために市庁舎の前に医療施設を作れといった覚えがある。また作るなら40床くらいで半分は精神障害者の救急身体合併症、半分は精神疾患の救急とし、合併症の医師は大阪市が用意し看護師は大精協が派遣しそれぞれの病院の身体管理のレベルアップと定着対策を考えて発言した。精神科救急は全面的に大精協が医師も看護師も派遣するという考えであった。行政の委員会ではこのような考えはいくら言っても通らない。要は行政で勝手に考えて学識経験者とか各機関の代表を集めて報告書に名前を連ねさせるというようなものだとあとでわかった。結局2003年の報告では3つのステージにわけ、第1ステージはまず経済的に比例配分して応分の負担をする、第2ステージは市内で一次救急医療が受けられる、そして最終の第3ステージは市内で救急入院ができる施設を用意するというものだった。もうひとつ緊急措置については興奮や攻撃性の低い人は市立総合医療センターで診て、あとはさわ、久米田、中宮で診て、総合医療センターの症例は翌日転送とするという構想だった。この最終意見書の取りまとめ段階の時は、私は大精協の救急担当副会長であったので2007年に大阪市の精神科救急の検討部会の部会長にされ、さも私を部会長としてその部会で合意で決めた形となった。経緯はともかくこの3つのステージはあながち悪くはないと思う。
2005年9月から大阪府は新しい精神科救急制度になった。1991年から始まった救急制度では多くの問題が見えてきたからだ。手を上げていても空床を確保していなかったり、用意していてきちんと対応しても、別の救急隊から頼まれた時断ったら受け入れ拒否に力ウントされたりしたといったことからである。2000年から始まった国の24時間精神医療相談は大阪では主に障害者の悩み事相談となっていたが、2005年9月には精神科救急情報センターが別に用意され、空床の使用状況を把握し先の間題は少し解決した。
大阪市は、先の3つのステージの第2段階、市内に一次救急を受は入れる医療機関の整備するというのを2005年9月にー気にしようということになった。ほくとクリ二ックは、2003年12月に開院し、翌年2月から日曜夜間の救急をし、後に土曜も行ってきた。
そして、2005年9月より、大阪市内の診療所、実際には大阪精神科診療所協会が平日の20時から23時まで、ほくとクリ二ックが土曜の20時から23時まで、そして大阪市総合医療センターは日曜の10時から16時というものだ。ほくとクリ二ックは、当初土曜
の10時から16時を要請された。その時間帯は、ほくとクリ二ックにとっては通常時間帯であり、「おいしい話」であるが、すでに20時から翌朝8時まではしていたので、夜間とさせてもらった。
私の考えは、救急はどこでも、いつでもあるが、一番困るのは夜間休日であるのでそれを整備しろと言ってきたし、さわ病院もほくとクリニックもそれに協力してきた。(つづく)
診療所協会は2年で固定型にならなければ手を引くと言ってきたが2年たった昨年秋もそのままとなっていた。そのような状態がわかっていたので、お尻に火をつけるためにほくとクリニックは昨年8月から365日一次救急受け入れとしたのだった。大阪市もこのままではまずいと、本年7月から固定型とするとして、こころの健康センターが天王寺から都島に移ったことから、センターの中ですることにした。このプランの中で、ほくとクリニックにも土曜日にセンターへ出動が要請された。しかしすでにほくとクリニックは365日しているのだからと断った。その後の市と診療所協会の取り決めは知らないが、365日協会が請け負うこととなった。但し、月初めはレセプトで忙しいからと、在阪5大学の医局にも最初の週だけ参加を要請し受け入れられた。考えれば全てのクリニックの医師がレセプトに加わるわけではない、外部委託機関に頼むクリニックもあれば、クリニック勤務医で直接レセプトに関係しない医師もいるはずである。
問題はこのような市と協会の取り決めの中で、医師の手当てを倍増したのである。それも20時から23時までの時間のままでである。この額に怒ったのは大精協の病院である。なぜなら当直を全面的に大学医局に頼んでいる病院が結構あるからである。常勤医に当直させないという条件で当直医を集め、当直医にとっては遅く来て早く帰って、手当てがそこそこで夜起こされないという条件が出される病院があるが、これは病院にとっても「おいしい」条件なのである。というのは、当直医が外から4晩来てくれたら、医師数が1人とカウントされるからである。医師が集めにくいあるいはできるだけ金を使いたくない病院はこの方法をとった。さわ病院は、87年、精神保健法施行以来、非常の場合を除いてパートの当直医を原則お断りしている。これは自分もそうだったが、パート医は労働の時間売りで、その時間が終わればあとは患者や病院のことはほとんど考えないから質の低下につながると考えるからである。
いずれにしてもこのような形で、大阪市は精神科1次救急を固定型として始めたが、昨年の実績では1次救急(20時から23時)は9ケ月で106件であるから2.7日に1件程度である。東京が1200万人の人口で月に6件くらいだからましというのかもしれないがこれは救急ではない。そのため「自分で帰れる人なら大阪市外の人も受ける」と方針を変更した。これはこのままの実績では議会で突かれると考えたのか、入院は市外におんぶしてもらっているので少しでもお返しをしようというのかどちらかはわからない。
大阪市の診療所の先生の中でもこのシステムはおかしいと思っておられる良識ある方がおられるのは救われる。
この点に関しては醒めている。1年の実績が出れば、どれが利用者に役立っているか、どれが経済的にも効率がいいかは数字が語り、それを当事者や、部会や、マスコミ、議会が問題にすると考えるからである。心配なのは、東京ではもっと金を使って、月6件ほどの1次救急、月25件ほどの2次救急しかないのにマスコミも議会も都民も何も言わないことである。
澤  温

ほくとクリニックと大阪市の精神科救急